W杯で西野朗新監督は「マイアミの奇跡」を再現できるか?!

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日本はワールドカップ初出場の1998年以来、初の二か月という短期間で代表チームをまとめなくてはいけない監督が誕生しました。

ハリル・ホジッチ前監督の解任から急遽指名されたのは西野朗氏です。

サッカーファンならば知らない人はいないと言っても良いぐらい日本サッカー界では有名な人です。

これから西野新監督の名前がマスコミに登場する機会も増える事でしょう。

西野新監督の名を世界に響かせた大事件が過去にありました。それは、、、


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西野監督が初めて率いたU-20日本代表

西野監督が初めて日本の代表チームを率いたのは1991年から編成したU-20(20歳以下の代表)チームでした。

このチームは3年後のアトランタオリンピックに出場するために編成された若き日本代表でした。

このチームの核は前園、城、そして十代の中田英寿でした。

メキシコ五輪で銅メダルを取った日本サッカーはその後、低迷し長らくオリンピックに出場することができませんでした。

しかし、Jリーグが発足してレベルが徐々に上がり始めていた時期でもありました。

日本サッカー協会は28年ぶりのオリンピック出場の悲願を西野監督にかけたのです。

西野監督はスカウティング、情報分析が優れている

オリンピックに出場するにはまず、アジアの壁を越えなければなりません。

Jリーグで底上げされたU-20日本代表は1次リーグを難なく突破し、最終予選までコマを進めました。

アジア最終予選の最終戦で当時アジア最強のサウジアラビアと死闘を演じ、日本は28年ぶりの五輪出場を決めました。

そして本番のアトランタオリンピックに臨む前に、西野監督は対戦国のデータを徹底的に集めて分析をしました。

28年ぶりに出場する日本は一次リーグの初戦でいきなり世界最強のブラジルと対戦することになりました。

西野監督はスタッフ陣をブラジルに派遣し、ブラジルチームの情報を集めまくりました。

現地ブラジルの新聞もたくさん買い集め、分析を続けたのです。

その結果、アジア予選でレギュラーとして使っていた選手を数名外して、ブラジルチームの各選手の特性に合った選手を選びました。

一方、日本戦に挑むブラジルは既にワールドカップを4回も優勝している世界最強のサッカー大国です。

しかし、不思議な事にまだオリンピックの金メダルだけはとったことがありませんでした。

ブラジルは1994年のワールドカップで優勝していたので、1998年の予選を免除されていました。

ブラジルにしてみると、1998年まで国を挙げての本格的な大会が無く、1996年のアトランタ五輪で金メダルと取るために国を挙げて全力をぶつけてきたのです。

アトランタ五輪から始まったオーバーエイジ枠(23歳以上の選手を3名までチームに加えられる)にはA代表(フル代表)からベベット、リバウド、アウダイールと世界最高峰の1996年ワールドカップ優勝メンバーをチームに合流させたのです。

いよいよブラジル戦キックオフ!!

前半はお互いに動きが固く、一進一退でした。その中で両チームを通じて最初のシュートは中田英寿のヘディングでした。

徐々に世界最強のサッカーを展開し始めたブラジルに対して日本は辛抱強く守備し続けました。

何とか前半を0-0で終える事が出来ました。

後半に入ると、ブラジルのエンジンに火がついて怒涛の攻撃をしてきました。

金メダルを取るという大目標の前に、28年ぶりにオリンピックに出場したアジアのサッカー後進国日本などに世界最強のブラジルが負けるわけにはいかないのです。

会場を埋め尽くした黄色いレプリカユニフォームを着ているブラジルサポーターも一方的に攻めながらも前半で得点できないブラジル代表にブーイングが出始めていました。

後半は日本側の陣地内で長い時間、一方的な試合展開となりました。

サンドバックのように一方的にシュートを打たれましたが、当時から大勝負に強いと言われていたゴールキーパーの川口能活がファインセーブを繰り返してブラジルに得点を許しませんでした。

後半23分にフラストレーションが限界に達したブラジルサポーターが日本のゴール付近に乱入してきてセキュリティーに取り押さえられるハプニングも起こりました。

起こるべくして起きたマイアミの奇跡

西野監督はスカウティングによってブラジルの最終ラインとゴールキーパーの連携がうまくいっていない事を見抜いていました。

最終ラインとゴールキーパーの間にパスを通すことができれば日本にもチャンスが出てくると考えていたのです。

そして我慢を重ねた日本代表にチャンスが訪れました。本当にワンチャンスでした。

後半27分、左サイドの路木(当時広島)がボールをもって前線に上がると西野監督のいう通り、ブラジルの最終ラインとゴールキーパーの間にロングボールを放り込むことができました。

城(当時横浜)がゴール前に走りこむとブラジルのディフェンスとゴールキーパーの連携が乱れ、味方同士で衝突しました。

路木の送り込んだボールはそのままゴールに向かい、伊東(当時静岡)が走りこんで押し込みました。

世界最強のブラジルから当時サッカー後進国の日本が先制点を取った瞬間でした。

当時、日本でテレビを見て応援していた人たちも期待はしていても、まさかブラジル相手に、と思ったことでしょう。

しかし、西野監督は冷静に分析して 「奇跡」を起こしたのです。

先制されたブラジルはヨーロッパの強豪と戦う時もここまで本気で戦わないのではないか、というぐらい強烈な戦闘モードで日本ゴールを襲い掛かりました。

日本ゴール前でブラジルがペナルティーキックをもらった時も、フリーキックの天才、ロベルトカルロスが日本選手がゴール前に作った壁の横を鋭いカーブを描いて曲がってゆくシュートを放ちましたが、GK川口能活は神がかり的なセーブをしました。

壁が邪魔になってGKからはロベルトカルロスのボールの弾道が見えないはずですが、西野監督のスカウティングによって事前にこの弾道を描いてゴールに向かってくる可能性が高いと教えられていたのです。

試合時間が刻々と進むと、当時イタリアでプレーしていた天才的な選手のベベッドがスライディングでファールぎりぎりのプレイまでして日本からボールを奪おうと必死になっていました。

後半45分を終えて、延長時間2分半ありました。

世界最強のブラジル代表の必死の攻撃に日本選手全員で立ち向かい、主審のホイッスルがとうとう鳴り響きました。

全世界が驚愕したマイアミの奇跡が成し遂げられた瞬間でした。

1996年7月23日付日刊スポーツ 1面より

1996年7月23日付日刊スポーツ 1面より

マイアミの奇跡をもう一度!!

その後、日本は第二戦でアフリカの雄、ナイジェリアに惜しくも敗れ、最終戦、古豪ハンガリーに勝ちました。

日本、ブラジル、ナイジェリアが2勝1敗で並びましたが、得失点差で残念ながら日本は決勝トーナメントに駒を進めることができませんでした。

オリンピックサッカー史上、初めてグループリーグで2勝を上げながら敗退したチームです。

その後西野監督は複数のJリーグの監督を歴任して業績を上げてきました。

Jリーグ優勝も経験しています。アジアチャンピオンズリーグも優勝しています。

サッカーファンならば西野監督に期待してしまうのしょうがない事だと思います。

おわりに

初めて日本代表がW杯に出場するときも加茂元監督が更迭されて急遽岡田武史元監督が日本代表を率いる事になりました。

そしてイビチャ・オシム監督が病に倒れて、再び急遽岡田武史元監督が引き受けて南アフリカW杯に出場しました。

今回の西野新監督は更に準備期間が短いW杯2か月前の就任です。

今頃は選手の選出から対戦国のデータ分析と多忙を極めている事だと思います。

日本の過去最高の成績はベスト16です。

優勝はさておき、何とか西野新監督には奇跡のベスト8を実現して欲しいと思います。


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