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ロシアワールドカップ、日本がいる1次リーグH組のコロンビア、セネガル、ポーランド3か国の中で日本では比較的に知られている国だと思います。

またポーランドは日本とも関係が深く、ヨーロッパ方面の国々の中ではトルコと同じぐらい、いやそれ以上に日本に対して好意を持っていてくれる国でもあります。


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ポーランドってどこにあるの?

ポーランド共和国の位置
ポーランド共和国の位置

ポーランド共和国はヨーロッパの東西南北のほぼ中央に位置しています。

EUにも所属しているヨーロッパでは大国に数えられる国の一つです。

人口は約4000万人弱です。

日本からは直行便は残念ながらまだありません。

オーストリアのウィーン、ドイツ、中近東のドバイで乗り継いで首都ワルシャワに入ることになります。

日本からドバイ経由で行きますと乗り継ぎを含めてほぼ丸一日かかることがあります。

便の豊富さを考えるとオーストリアやドイツを経由した方が早くて安いかもしれません。

日本との時差は夏は7時間、冬は8時間です。

ポーランドの歴史は?

国家として認められるようになったのは10世紀です。

それ以前にも部族単位の王国らしきものはありましたが、全部族を束ねた王がキリスト教に改宗したのでドイツやフランスといった西側キリスト教国に国家として認められたのです。

ポーランドの歴史は一言でいうと周辺諸国に翻弄され続けたといっても良いでしょう。

13世紀にはほぼ半世紀にわたってモンゴルの執拗な侵略を受けました。

チンギスハーンの長男ジュチがロシアに拠点を作って以来、ジュチの子孫たちが繰り返し西側ヨーロッパ攻略を試みたからです。

その為、ポーランド南部はモンゴル軍の大虐殺で人口がほぼいなくなり、ユダヤ人やドイツ人を移民として受け入れました。

16世紀から17世紀にかけてリトアニアと連合国家を作り、中央ヨーロッパ随一の大国家を作りましたが、それ以外は周辺諸国に侵略されて18世紀に入ると4度にわたり領土を失い、ポーランドという国は地図上から無くなりました。

20世紀に入ると西側からはナチスドイツ、東からはソビエトロシアの侵略を受けて両国によって国土が分割されて再びポーランドは無くなってしまいました。

第二次世界大戦後の1952年に再び独立を認められて現在に至っています。

ポーランドの観光名所は?

古い国なので観光名所はたくさんありますが、やはりおさえておきたいのは人類史上まれにみる大量殺人工場だったアウシュビッツです。

アウシュビッツ強制収容所
アウシュビッツ収容所ゲート

ナチスドイツは占領下のアウシュビッツに強制収容所を作り、ドイツ占領地域でとらえたユダヤ人やロマ族(ジプシー)や反体制の人々を貨車で次々に送り込んで機械的に殺し続けたのです。

約600万人の人々が犠牲になったと言われています。

写真のアウシュビッツ強制収容所のゲートの上にある文字は「働けば自由になれる」というような意味ですが、このゲートをくぐって生きて戻った人はほとんどいなかったのです。

華やかな観光地ではないですが、広島の原爆慰霊碑同様に人類のあやまちを再認識できる大切な場所です。

またポーランドは広大な国ですので北の港町グダニスク、南のポーランドの「京都」と呼ばれる古都クラクフ、東のベラルーシ国境近くの街ビャウィストク、西のドイツとの国境の港町シュチェチン、そして首都ワルシャワなど見どころが広く散らばって、とても3,4日では回りきれません。

ポーランドの特産品は?

ポーランド土産はちょっと重くて取り扱いに注意が必要ですがボレスワヴィエツ陶器というポーランド特産の焼き物がお勧めです。

焼き物の柄が非常に豊富で手書きで書かれているものが多く、工業製品というよりは一つ一つが手作りに近くて温かみがあるデザインになっています。

最近日本でも人気が出ているそうです。

通貨はズロチといって約30円が1ズロチです。

ポーランド人の所得はひと月平均10万円ぐらいですので、モノの値段を2倍すると日本の感覚に近くなるかもしれません。

コーヒー一杯5ズロチならば150円だけど倍にして300円ぐらいが現地人が払う金銭感覚に近くなると思います。

ポーランドに行かれるときには電化製品を充電するのにはタイプCのコンセントのアタッチメントが必要です。

丸い穴二つに差し込むタイプです。

電圧は220V50hですが、現在のスマホは海外でも大体使えますが、一応確認だけしておいた方が無難です。

ボレスワヴィエツ陶器製作風景
名産品ボレスワヴィエツ陶器が作られるところ

日本との関係は?

日本との関係は非常に良好です。というかポーランドの人たちが日本の事をとても好んでくれているのです。

日露戦争の捕虜の取り扱い

日本との国交は1919年に正式に始まりましたが、ポーランド人との接触はそれ以前からありました。

日露戦争の時にポーランド人はロシア軍に編入されていて、日本軍と戦いました。

その結果、4600人のポーランド兵が日本軍の捕虜となり愛媛県松山市で捕虜生活を送ることになりました。

この時にポーランド将校の一人が代表して日本政府に対して、待遇改善を求めました。

日本政府は要求を受け入れ好待遇でポーランド兵を収容したといいます。

待遇改善を要求したポーランド将校は後に独立したポーランド共和国の初代首相となったピウスツキ将軍でした。

自分たちポーランド人を支配下に置いていた帝政ロシアを打ち破り、捕虜となったポ-ランド兵を好待遇で扱った日本のことが現代の21世紀のポーランドでも語り伝えられているそうです。

ポーランドシベリア孤児への支援

1920年代はロシア革命の混乱期でポーランドでも資産家の家族がソビエトロシアによってシベリアに強制移住されるケースが相次ぎました。

極寒で食料も十分でないシベリアに送られた人たちは子供たちを残して死んでゆく人が多く、また残された子供たちもいずれ死んでゆく運命にありました。

ポーランドの人たちはシベリアに残された孤児たちを何とか救出したいと各国政府に働きかけましたが、どの国も前向きな返事をしてくれませんでした。

その中で日本政府が手を挙げました。シベリアに残されたポーランド人の孤児たちを日本で受け入れる用意があると表明したのです。

ポーランド人孤児765人は日本政府の支援によって無事日本に到着して体力を十分に回復させてからポーランドに送り返されました。

この事もポーランドでは記録として残されており語り継がれています。

命のビザ

ポーランドにも先ほどのモンゴルの侵略の為に減った人口を補うためにユダヤ人が大量に移民していました。

その子孫たちがナチスドイツのユダヤ人狩りにあったのです。

ユダヤ系ポーランド人たちはポーランドを脱出するためにリトアニアにいる杉浦千畝領事代理にビザの発給を求めに行きました。

杉浦領事代理は大量にビザを発行しましたが、ナチスドイツと足並みをそろえよとのことで、日本外務省からビザの発給停止の命令が出てしましました。

杉浦領事代理はそれでもビザを発給し続け、日本に召喚されて帰国の汽車が出発する間際まで窓に群がる人たちにビザを書き続けたといいます。

ユダヤ人の国イスラエルも杉浦さんを称えていますが、実はポーランドでもこの功績は感謝されて称え続けられているのです。

おわりに

ポーランド人は日本の事や日本人が大好きだそうです。

すでに1919年には日本語学科が設置されています。

まだ日本が世界の舞台に登場して十数年しか立っていない時からポーランドの人たちは日本に注目してくれているのです。

現代では日本が国連で常任理事国入りを計画していますが、イタリアや韓国、中国などは反対工作をしています。

しかしポーランドは日本が常任理事国入りの意志を表明してからずっと支持してくれている友好国なのです。

ドイツやイタリアは国際政治的に戦前結びついていたのですが、日本人に対して親しみがあるのかというと必ずしもそうではないようです。

日本人からするとあまり深いつながりが無いように見えるポーランド。

彼らの日本に対する好意と温かさを私たち日本人もしっかりと受けとめて、両国の友情を発展させたてゆきたいものです。


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