日本ではあまり聞きなれないアフリカのスワジランドという国が国名を変更しました。
「エスワニティ王国」という新国名を名乗り始めました。
スワジランド王国はアフリカ大陸の南の端の南アフリカ共和国の東に位置します。
三方を南アフリカに包まれるように、そして東側一面がタンザニアと接しています。
この国がどんな経緯で国名を変更したのでしょうか・
また日本との関係はどうなのでしょう。ちょうどよい機会なので調べてみました。
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ヨーロッパの大国に翻弄された歴史
1800年代にスワジ人を中心とした王国が出来ていました。(スワジ王国)
現在の南アフリカ共和国の北部にヨーロッパ系の人たちで作ったトランスバール共和国(現南アフリカ共和国のトランスバール州)からの侵略を受けてイギリスに保護を求めました。
その後ヨーロッパ系の人たちとイギリスの間で戦争(ボーア戦争)が起きてスワジランドはイギリスの保護領となりました。
イギリスの保護領となっている間も王政は残り続けました。そして1968年に完全に自治を獲得してスワジランド王国として独立しました。
その後、国王は憲法を廃止、改正を繰り返し、王族の中での争いが起きました。
また労働組合や反政府組織が憲法改正や王政批判を繰り返し国内で内乱状態になりましたが、絶対王政と野党禁止は維持され続けています。
現在も政権批判者、ジャーナリスト、労働組合指導者、LGBT(女性、男性同性愛者、バイセクシャル、トランスジェンダー)に対する弾圧は続いています。
どんな国土なの?
スワジランドの国土は西側が高原地帯、中部の中高度地帯、東側の低地と起伏に富んでいます。降水量も多く緑豊かな国です。
スワジランドの経済は
人口の約1%の白人が経済のほとんどを握っています。また私有地の大半も白人の富裕層が所有しています。
その為貧富の差が激しく、一般の国民の生活水準は高くありません。
国王の浪費がひどく国家予算も圧迫されています。国民一人当たりのGDPは約30万円ほどです。
エピソード
スワジランドは一夫多妻制をとっています。前の国王のソブーザ2世は70人もの奥さんがいて王子、王女が210人もいたことで有名です。
スワジランドはアフリカで二つしかない王国の一つです。アフリカ大陸で王家を持つのはスワジランドとすぐそばにあるレソトだけとなりました。
スワジランドはイギリス連邦の一員です。イギリス連邦に属しながら独自の王政を持っています。
スワジランドはエイズが蔓延している影響と治安が悪いので平均寿命が男性41歳、女性43歳と日本の江戸時代並みの短寿命となっています。
観光
スワジランドの名物は民族ダンスの「リードダンス」が有名です。女性が大集団でそれぞれの地域の民族衣装を着て踊る壮大なダンスです。
日本からはシンガポールを経由して南アフリカのヨハネスブルグへ行き、そこからスワジランドの国際空港があるマンジニという都市へ飛行機で行きます。
日本との関係は2011年に技術協力に関する政府間の署名が取り交わされました。
そして2015年に青年海外協力隊の派遣に関する取り決めが行われたばかりでこれから関係を築き上げる、日本にとっては新しい国の一つといえます。
おわりに
今回の国名変更は1968年の独立時の名前がイギリスによってつけられた「スワジ人の国」というのが現国王がお気に召さなかったようです。
現在アフリカは各地で起きていた内乱や民族間の戦争や大国が後押しをする代理戦争がなくなり、経済成長が著しい状況です。
その中でもスワジランド改め、「エスワニティ王国」はまだ古き良きアフリカが残っている観光地で、リゾート化されてた観光地巡りが飽きた人たちから人気が出ているそうです。
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